脳振盪はスポーツ関連頭部外傷としては最も身近な問題となっていますが、これまでは器質的病変を伴わないため比較的軽度の問題と考えられていました。

1990年代頃まではラグビーなどで脳振盪を起こした選手にやかんから「魔法の水」をかけたり、顔をビンタして意識を回復させるなどの光景をよくくみかけました。

また、中学校の武道の必修となった柔道においても脳振盪はしばしばみられ,それほど深刻な問題として取り扱っていませんでした。(宮崎誠司:スポーツ現場における脳振盪の頻度と対応―柔道―,臨床スポーツ医学,27(3),303-308,2010)

2000 年代に入ると、アメリカンフットボール、ボクシングなどの競技で脳振盪に起因する死亡事故や重篤な後遺症事例が蓄積、また、それに関連して多くの訴訟が起こされたことなどもあり、スポーツ活動中の脳振盪に対する扱いを見直すべきという機運が国際的にも急速に広まりました。

2001 年 11 月には国際アイスホッケー連盟、国際サッカー協会、国際オリンピック委員会によって第 1 回スポーツにおける脳振盪に関する国際会議(オーストラリアのウィーン)が開催されました。(Bailes JE et al;J Atletic Training 36(3);236-243,2001)

第2回国際会議には新たない国際ラグビー委員会(IRB)が協賛し2004年に開催されました。会議の目的はアイスホッケーやラグビー、サッカーだけでなく、他のスポーツでも脳振盪の受傷に苦しむ選手の安全と健康改善のために提言を作成することでした。
第3回国際会議は2008年にチューリッヒで開催されました。そして、第4回国際会議は2012年にチューリッヒで開催され、「スポーツにおける脳振盪に関する同意声明ー第4回スポーツにおける脳振盪に関する国際会議ー」が発表されました。

Consensus statement on concussion in sport:the 4th International Conference on Concussion in Sport held in Zurich, November 2012
Br J Sports Med 47;250-258,2013)

脳振盪と認知機能障害

脳振盪とは、頭部打撲直後から出現する神経機能障害であり、かつそれが一過性で完全に受傷前の状態に回復するものを言います。(川又達朗ら;臨スポーツ医 25;331-339,2008)

頭部打撲による脳振盪は急性硬膜下血腫の発症リスクがありますが、急性硬膜下血腫の予後は悪く、広汎な外減圧術を行っても死亡率は55%に達するという報告もあります。(太田富雄;脳神経外科,金芳堂;1249-1255,2008)

脳振盪の定義(国際スポーツ脳振盪会議)

1)頭部への直接外力に加えて、頭部へ伝播する顔面、頸部、あるいは身体のどの部分に対する外力でも生じることがある
2)典型的な脳振盪では、受傷直後に神経機能が障害され、短時間のうちに回復する
3)神経病理学的変化(器質的脳損傷)を生じている可能性は否定できないが、急性期の臨床症状は可逆的であり、帰納的な傷害を反映している
4)意識消失を伴う場合、伴わない場合など、種々の重症度があるが、臨床症状、認知機能障害は時間とともに改善する
5)通常、画像診断では異状を示さない        (谷諭ら;神経外傷 29;62-67,2006)

 

<脳振盪の症状>

自覚症状 頭痛、めまい、霧の中にいる感じ、ものがかすんで見える、気分がよくない、頸部圧迫感、頸部痛
他覚的所見 意識消失、痙攣、健忘、吐き気・嘔吐、バランスが悪い、音に敏感、光に敏感
行動の変化 怒りやすい・悲しい感じ、いつもより感情的、すばやく動けない、疲れている
認知機能障害 思い出せない、集中力がない、混乱している、神経質・不安感がある
睡眠障害 寝つきが悪い、眠くなりやすい

(野地雅人,臨床スポーツ医学 33(7);622-626,2016)より引用

脳振盪(急性期)の認知機能のサイドライン評価

認知機能のサイドライン評価は脳振盪において必要である。注意機能や記憶機能を評価する簡略化された神経心理学的テストの組み合わせは実用的かつ効果的であるとされている。時間や場所、人についての一般的な質問は、スポーツ現場において記憶機能の評価に比べて信用できないのは注目すべきである。(Maddcks DL,et al;Clin J Sport Med 5;32-35,1995)(McCrea M,et al:Neurology 48:586-588,1997)

しかしながら、簡略化されたテストはサイドラインにおける即座の脳振盪スクリーニングを目的としたものであり、急性期の出来事に隠れて存在するかもしれないわずかな障害を検出しうる神経整理学的テストではない。また、受傷から数時間遅れて症状や認知障害が出現することも考えらえれるため、脳振盪は急性期には進行性の外傷として理解するべきである。

<臨床スポーツ医学 31(3):202-211,2014)「第4回スポーツにおける脳振盪に関する国際会議:解説と翻訳の抜粋」より原文のまま>

セカンドインパクト・シンドローム

セカンドインパクト・シンドロームとは、脳に同じような外傷が二度加わった場合、1度目の外傷による症状は軽微であっても、2度目の外傷による症状ははるかに重篤になることを意味し、急性の著しい脳腫脹から生命の危険に陥る病態で、1996年の報告から広く知られるようになりました。(Cantu RC;Br J Sports Med 30;289-296,1996)

致死率が50%以上とも言われ、また死に至らない場合でも後遺症率も非常に高いと言われています

<脳振盪に関わる種々の病態>
直後の問題:セカンドインパクト・シンドローム(症候群)、脳振盪後症候群
慢性期の問題:外傷性慢性脳損傷   (谷諭;日本臨床スポーツ医学会誌 21(2);352-354,2013)

脳振盪のアセスメント

CISG(Concussion in Sport Group:コンタクトスポーツに関わる国際競技団体)は脳振盪の評価ツールとして、トレーナーなどの医療関係者向けに2009年にSCAT2(Sport Concussino Assesmento Tool2を、2013年にはSCAT3を発表しました。

これらは、脳振盪の兆候や症状と、Maddocksの質問、グラスゴーコーマスケール(GCS)「開眼(Eye Opening)・発語(Best Verbal Response)・運動機能(Best Motor Response)」、認知機能評価:SAC(Standardized Assesment of Concussion)「見当識・即時記憶・集中力」、平衡機能評価:BESS(Balance Error Scoring System)などが加わり、プレシーズンと受傷後のデータを比較して受傷後の状態評価に役立てようとするものです。(15分程度、13歳以上)

現場でハンディに使えるツールとしてはpocket SCAT2やpocket CRT(Concussion Recognition Tool)があります。それぞれSCAT2,3を簡素化したもので一般者にも使いやすい内容となっています。(佐藤晴彦,臨床スポーツ医学 31(3);240-245,2014)
その後、2017年にSCAT5が公開されています。

    SCAT2     pocketSCAT2    SCAT3     pocketSCAT3  SCAT5    

※日本ラグビーフットボール協会ホームページより

コンピュータを使用したCognitive Testing(ImPACT,CogSports,etc.)の有用性も報告されています。(Schtz P,et al:Appl Neuropasychol 10:42-47,2003)

これらの使用により、脳振盪の臨床評価における感度が向上した一方で、Cognitive Testingの信頼性に対する評価はさまざまであり、理学的所見を含めた総合的な判断が推奨されるとされています。(中山晴雄,臨床スポーツ医学 31(3):246-251,2014)

ImPACT(Immediate Post-Concussion Assesment and Cognitive Testing):神経認知のベースラインテスト

CogSports:パソコンで行う4種類のカードゲームで、以下の項目で構成されています。(日本に導入されているが現在の詳細は不明)

1.処理速度(Detection) 画面上にカードが裏向きに置かれていて、表を向いたら「はい」(kのキー)を押します。
2.視覚的注意/警戒(Identification) 画面上に出てきたカードが赤か黒で「はい」と「いいえ」を押し分けます
3.視覚的学習/記憶(One-card Learn) 画面上に出てきたカードが、これまでに出てきたことがあるかどうか「はい」と「いいえ」で答えます
4.視覚的学習/記憶(One-back) 画面上に出てきたカードがその直前に出てきたものと同じかどうか「はい」か「いいえ」で答えます。

(熊崎昌,Trainning Journal 405;12-17,2013)

※インターネットを開始て、データ送信を行い、ゲームの結果が解析されてフィードバックされます。

ラグビーと脳振盪

ラグビーはタックルを始めとしたコンタクトプレーに代表されるように、他のスポーツに比べて外傷が障害が多く発生する傾向にあります。

このため国際ラグビー評議会(International Rugby Board: IRB)では2011年に新しく脳振盪ガイドラインを発表し、これにより曖昧だった脳振盪の取り扱いが明確になり、選手への安全確保の向上が期待されています。

  • 脳振盪はプレーヤーの健康な生活を長期的に守るためにも極めて深刻に取り扱われなければならない。
  • 脳振盪を起こした疑いのあるプレーヤーは,プレーから離れ,その試合に再び参加してはならない。
  • 脳振盪を起こした疑いのあるプレーヤーは,必ず医学的評価を受けること。
  • 脳振盪を起こした疑いのある,または脳振盪と診断されたプレーヤーは,必ず「段階的競技復帰プロトコル(GRTP)」に従って復帰すること。
  • プレーヤーは競技復帰する前に医学的許可を必ず得ること。

日本ラグビーフットボール協会では,このガイドラインを遵守し,脳振盪に関する啓蒙活動,有資格者ヘルスケア専門家の育成,段階的復帰手法の徹底など,組織的に取り組んでいます。

脳振盪 ガイドライン等について(日本ラグビーフットボール協会ホームページ)

脳振盪復帰プログラム

スポーツによる脳振盪から復帰するためにリハビリテーションを行うには多面的な評価が必要とされています。

脳振盪後の競技復帰に際して現在は頭痛・頸部痛や嘔気・精神症状・バランス障害・前庭機能障害・認知機能障害など、多面的に評価が必要とされており、自覚症状を含んだSCAT5(スポーツにおける脳振盪評価ツール)だけで補いきれないため、スポーツの現場では様々な取り組みが行われています。

これらの評価をGRTP(段階的な協議復帰)の最中におこなって、すべての評価項目が完全に正常化し問題ないことが確認された場合においてラグビーへの復帰を認めています。

(山田睦雄,スポーツによる脳振盪のリハビリテーション,臨床スポーツ医学,36.3,296-305,2019)

柔道と脳振盪

2006年教育基本法の改正により学校体育において「伝統と文化」を学ぶことが盛り込まれ、さらに2008年学習指導要領の改訂により、2012年度から中学校の保健体育の授業に武道が必修化され、武道の授業の多くは柔道を実施することになりました。
一方で、近年柔道では重篤な頭部外傷として急性硬膜下血腫が問題視され、全日本柔道連盟や各都道府県の柔道協会における積極的な啓蒙活動により危険性や対応については多くの指導者や選手達に知られるようになりましたが、脳振盪の発生率と急性硬膜下血腫の発生率には正の相関があることをまだ多くの指導者は認識されていません。(川又達朗ら;臨床スポーツ医学 27(3);253-261,2010)

柔道では中学生の武道必修化を境に,「急性硬膜下血腫」に代表される重傷頭部外傷の発生が問題視され、様々な取り組みの中で、現場の指導者達の認識が高まりましたが、脳振盪に関しての認識は十分とは言い難い状況にあり、ラグビーにおける日本ラグビー協会のような積極的な取り組みが必要という報告があります。(藤田英二ら;武道学研究 46(2);77-85, 2014)

2008年学習指導要領解説「保健体育編」(文部科学省ホームページ)

サッカーのヘディングと脳の損傷

サッカーによる障害の約10%は脳しんとうで、こうれはプレイ中の衝突事故も含まれています。
ヘディングは軽度の衝撃であっても思考力や記憶力に長期的な影響を及ぼす可能性があり、小さな衝撃が蓄積されることの影響の大きさについて注意が促されています。ヘディングを頻繁に行う選手あるいは長年プレイをした選手は、記憶力や集中力についてサッカーをしていない一般の人と比べて検査結果がよくない場合があることがわかりました。(Maher ME et al;Brain Inj 28(3);271-85,2014)

米国では2014年8月に、保護者らがFIFA(国際サッカー連盟)や米国のサッカー競技団体を相手に訴訟を提起して、脳震とうに関するガイドラインやヘディングによる頭部への衝撃をできる限り緩和するための対策を講じるよう求めています。
2016年に、米国内において1990-2014年にサッカー関連外傷で米国の救急部で治療を受けた小児(7-17歳:299万5765人)のうち、捻挫・肉離れが35%と最多で次いで骨折が23%、軟部組織損傷が22%、脳振盪または閉鎖性頭部外傷の割合は7%ですが、年間発生率は1596%上昇していたことを米国小児学会(AAP)が調査結果を報告しています。(Pediatrics誌10月号

アメリカンフットボールと脳振盪

日本で2016年に公開された「コンカッション(Concussion)」(公式ホームページ)では、慢性外傷性脳症(CTE:Chronic Traumatic Encephalopathy)といわれる新たな傷害の存在とNFL(米国プロフットボールリーグ)の組織ぐるみでの「脳衝撃に対する長期的な影響」の隠蔽に関して描かれていました。

米ボストン大学の研究チームが行った調査研究で、 NFLで活躍していた選手ら202人の脳を調べた結果、9割が外傷による脳の疾患を患っていた事実が明らかになりました。亡くなった元アメリカンフットボール選手の脳検体202例を調べたところ、その87%で慢性外傷性脳症(CTE)の神経病理学的所見が確認されたことが報告されました。

とくに元ナショナル・フットボール・リーグ(NFL)選手の脳検体111例では99%にCTEが認められたとあります。<米国・ボストン大学のJesse Mez氏らによる報告(JAMA誌2017年7月25日号)>

1回の脳振盪ではCTEにはならず、蓄積が発症の鍵であることや、進行時に最低でも4つのステージがあることがわかっています。(Stein TD et al;Curr Pain Headache Rep.19(10);47,2015)

CTE(慢性外傷性脳症)とは

進行性の神経変性症で繰り返し頭部に衝撃を受けることによって起こります。
発症した患者の脳は時間をかけて徐々に委縮し認知症の発症要因でもあるタウ蛋白が蓄積するのが特徴で、発症時の症状はアルツハイマー病やパーキンソン病のそれと似ており、記憶障害や言語障害、運動障害、無気力や鬱などの精神障害なども報告されています。

(Gaveett BE et al;Clin Sports Med.30(1);179-188,2011) (Baugh CM et al;Brain Imaging Behav. 6(2);244-254,2012) (Huber BR et al;Phys Med Rrhabil Clin N Am,27(2);503-511,2016)

 

野球と脳振盪

米国のスポーツ界において「脳振盪の疑いあるような事故が起きた場合には選手の強行出場は避ける」という風潮がありますが、野球においてはアメリカンフットボールなどに比べると脳振盪の原因なる事故が起こる可能性は格段に低いですが、MLBにおいて脳振盪事故に対処するための規定が定められています。

  1. 各球団は所属するすべての選手にImPACT(Immediate Post-Concussion Assesment and Cognitive Testing)を用いた神経認知のベースラインテストを行う
  2. 脳振盪を受傷した疑いがある場合にはSCAT2を用いて検査を行う
  3. 選手が脳振盪の診断を受けた場合は、医師の診断書、SCAT2,ImPACTの結果をMLB機構に報告する義務を課す。そして最終的な競技復帰の許可をMLB側より受けなければならない
  4. 脳振盪のため7日間のDisable Listを設ける

日本でも、日本野球機構(NPB)が2016年から国際的な脳振盪からの競技復帰への段階的なステップ(6段階のプログラム)に従い、順調に回復すれば、受傷してから7日目には試合に復帰することができることになっています。

※脳振盪の可能性があると判断された選手の出場選手登録に関する特例措置として、交錯プレーや死球などで脳振盪を起こした可能性があるとして出場選手登録を抹消され、その後に回復、もしくは脳振盪ではなかったと判明した場合は、再登録に必要な10日間を待たずに再登録できることとしています。

その他のコンタクトスポーツと脳振盪

脳振盪の慢性期の問題として、外傷性慢性脳損傷があげられますが、慢性脳損傷は脳振盪を繰り返した選手が引退後に、認知機能障害、大脳基底核の障害、運動失調など中枢神経由来の多彩な症状を呈するもので、プロボクシングで有名なことからパンチドランカーと称されています。

米国小児科学会は2016年11月に、空手やテコンドー、柔道といった格闘技で使用するソフトヘルメットやマウスガード、フェイスガードなどの防具による脳振盪予防効果は証明されていないことを発表しています。(New AAP Report Encourages Safer Participation In Martial Arts

<米国の取り組み>
米国では、アメリカ疾病予防管理センター(Centers for Disease Control and Prevention:CDC)がConcussions in Sportsに関するウェブページを設け、スポーツにおける外傷性脳損傷に関する研究結果や情報提供を行っています。CDCが行った調査で頭部外傷が多いスポーツは、自転車、アメリカンフットボール、バスケットボール、サッカー、野球の順となっています。

 

女性と脳振とう

コンタクトスポーツだけでなく、様々な競技スポーツにおいて、女性の脳振とうの増加が問題視されており、昨年、米国の高校生を対象に行われた調査研究で、スポーツに関連した頭部損傷の発生率は男女間で顕著な差があり、女子の脳振とうの発生率は男子の1.88倍であったことが発表されました。
(Bretzin, A. C. et al. JAMA Netw. Open 4, e218191 ,2021)

また、女性アスリートのほうが症状が重く、回復に時間がかかることも過去の調査研究で報告されています。

現在の試合中での脳振とう発生から復帰までのプログラムは、男性アスリートを対象とした研究のみに基づいて規定されており、性別に応じたアプローチが必要であることが指摘されており、特に、女性アスリートの方が脳振とう受傷後の症状が長引くため、急激な復帰トレーニングを行うのではなく、スポーツ脳振とう評価ツール(等に基づいた段階的なリハビリテーションを実施する必要があるとの指摘もあります。