高齢化に伴い認知症と診断される人が増える中で、がんにも罹患するケースは珍しくありません。
また、がんの治療中に急性発症型認知機能変化である「せん妄」を引き起こすことがありますが、がんの進行に伴って意識変容の頻度が高くなっていくことが報告されています。(LeGrand,S.B.:J Pain Symptom Manage,44;583-594,2012)
現在では、がんの化学療法や放射線療法による認知機能への影響に関する様々な研究が行われており、最近ではがんに関連した心的外傷後ストレスが認知機能低下を媒介することを示すことが報告されています。(Kerstin Hermelink,et al,Journal of the National Cancer Institute.Volume 109, Issue 10, 1 October 2017, djx057

<せん妄の症状>

1.睡眠-覚醒リズムの障害 不眠、生活のリズムの昼夜逆転、覚醒している時は半分眠っているような、寝ぼけた状態となり、睡眠中は落ち着きがなく良く動きます
2.幻覚・妄想 実際にはいない虫・蛇などの小動物や人が見える幻視や恐ろしい幻覚、記憶や経験を本来の出来事とは違って解釈してしまう妄想などがみられます
3.見当識・記憶障害 現在の時間や場所が急にわからなくなることや最近のことを思い出せなくなります
4.情動・気分の障害 イライラ、錯乱、興奮、不安、眠気、活動性の低下、過活発、攻撃的、内向的など感情や人格の変化が起こります
5.不随意運動などの神経症状 手の震えなどの神経症状はアルコールせん妄に多くみられます

(健康長寿ネット、公益財団法人長寿科学振興財団)より引用

がん患者の認知機能は、がん治療中における治療選択や治療後の社会機能の維持や有意義な生活を送る上で非常に重要であり、患者の治療アドヒアランスや生活の質(QOL)の障害,あるいは様々な場面での意思決定、家族とのコミュニケーションなどにも大きく影響するとされています。(Anderson-Hanley.C,et al:J lnt Neuropsychol Soc,9;967-982,2003)

Cognitive Changes After Cancer Treatment(LIVE Strongのホームページ)

ケモブレイン(軽度の認知機能変化)

がんの化学療法が原因による記憶力・集中力・作業能力の低下などの軽度の認知機能変化を「ケモブレイン」と呼ばれています。発生頻度は17~70%とされ、薬剤による神経新生や神経伝達物質の障害、脳血流や脳脊髄液の変化、海馬の機能低下が示唆されており、間接的に炎症やアポトーシス、酸化ストレスも関与していると言われていいます。(喜多久美子ら,週刊日本医事新報 4845:60-,2017)

がん患者の認知機能検査は標準化されていませんが、ケモブレインの症状が一般的な認知症の症状と異なり、一定時間での作業効率の低下や言葉の想起の低下などが主症状として知られており、通常の認知機能検査では検知困難である可能性が考えられるため、検出しやすいTMT(trail making test)、COWA(controlled oral word association test)、HVLT-R(Hopkins verbal learning test-revised)の3種類の検査がケモブレインの評価方法として検討されています。(山内 英子ら,厚生労働科学研究委託費(革新的がん医療実用化研究事業)研究報告「がん治療の合併症としての認知機能障害」)

<ケモブレインの症状>
•集中力および同時処理能力の低下
•最近の出来事に関する記憶力の低下
•課題遂行力の低下
•思考速度の低下
•明瞭な思考力の低下

ケモブレインの謎を解く(平成27年度 日本医療研究開発機構研究費/がん治療による神経系合併症(認知機能障害と痛み)の緩和に関する研究・研究班作成)

乳癌患者の癌化学療法関連のケモブレインに関する大規模前向研究では、治療以前から治療後にかけてFACT-Cogスコアが全般に対照健常者より低く、特に化学療法患者は、治療6ヶ月後の同スコア低下度がホルモン・放射線療法患者より大きいことが報告されています。(Michelle C. Janelsins,et al:Journal of Clinical Oncology,35:506-,2017)

CRCI (canser related cognitive impairment)

がんの診断あるいは治療に関連するこの認知機能障害を総称してCRCI (cancer relaed cognitive impairment)と呼ばれています。

近年では、特に化学療法,ホルモン療法,放射線療法といったがん治療に関連した認知機能障害に関する報告が増えています。

がん患者は病状や治療に関する不安や心配を抱えるだけではなく、記憶や注意力・集中力などの問題も経験しており、CRCIはたとえ障害が微細であっても,社会とのかかわり,労働能力などに加え,治療方針決定への参加,意義のある生活を送る上で患者に大きな影響を与えるとされています。

がん患者におけるCRCIに関する長期にわたる神経心理学的評価を行った研究によると,がんの治療を受ける前から約30%の患者に,また治療経過中には75%に及ぶ患者に認知機能障害が認められ,このうち35%は治療終了後も数カ月~数年にわたり症状が継続していたことが報告されています。(Janelsins,M.C.et a1.: Semin Oncol,38;431-438,2011)

乳がん患者における認知機能障害にTNF(Tumor Necrosis Factor:腫瘍壊死因子)が関与していることの報告があります。
これは、174名の新規診断乳癌患者のCRCIにおける炎症性サイトカインの影響を検討し結果、記憶、情報処理速度・遂行機能などが関連していることがわかったものです。この研究は、癌における認知‐免疫関係の発端研究であり、重要因子としてTNFを特定して治療標的化、sTNF-RIIのバイオマーカー使用の可能性を開いたとしています。(Sunita K. el,Journal of the National Cancer Institute, Volume 107, Issue 8, 1 August 2015, djv131, https://doi.org/10.1093/jnci/djv131)

意思決定能力低下とアドバンス・ケア・プラニング(ACP)

終末期医療において延命するか否か、積極的治療をどうするかといった医療処置に関する希望だけでなく、エンディングノートに代表されるように人生の終盤期をどう生きるのかということに関心が広がっています。しかしながら、認知機能の低下により今後の治療や終末期のケアについて明確な自分の意思を表明することが困難になるケースがあります。

このような状況に備えたコミュニケーションを支援・促進する方法の一つとしてアドバンスケアプランニング(Advance Care Planning)が注目をされています。

アドバンス・ケア・プランニング (ACP: Advance Care Planning)とは?
●年齢と病期にかかわらず、成人患者と、価値、人生の目標、将来の医療に関する望みを理解し共有し合うプロセスのこと
●ACPの目標は、重篤な疾患ならびに慢性疾患において、患者の価値や目標、選好を実際に受ける医療に反映させること
●多くの患者にとって、このプロセスには自分が意思決定できなくなったときに備えて、信用できる人もしくは人々を選定しておくことを含む
(Sudore RL et al. J Pain Symptom Manage. 2017)

 

アドバンスケアプラニング(厚生労働省「第1回 人生の最終段階における医療の 普及・啓発の在り方に関する検討会」資料より)

<人生の最終段階における医療の決定プロセスに関するガイドライン(厚生労働省)>

リーフレット(厚生労働省ホームページ)

認知機能低下と緩和ケア

がん性疼痛(神経障害疼痛,内臓痛,体性痛)は、がんに罹患した患者のQOL に多大な影響を及ぼしますが、認知症と診断された人はそうでない人と比べると,がん性疼痛が1/3 にしか認められておらず,鎮痛薬が1/6 程度しか投薬されていないという報告があります。
(Shuji, Iritani,et al: PSYCHOGERIATRICS . 11, 6-13, 2011)
これは、認知症(特にアルツハイマー型認知症)の場合、前帯状回、一次体性感覚野神経細胞の脱落と青斑核の機能低下により,痛み刺激が感知されにくくなり,痛みの識別が困難になることが原因であることが示唆されています。(Erik, JA. Scherder.et al.:THE LANCET neurology.2,677-686,2003)

記憶障害や見当識障害のために,疼痛の様相を言語的に適切に訴えることが困難となることで,看護師が疼痛を適切に捉えきれていない可能性があり、認知症高齢者に対して,観察するだけでなく「聞く」「触れる」「表現を変えて聞く」という方法はがんの認知症高齢者の疼痛緩和を行うための基本的な観察点とケアであるとされています。(久米真代ら,Ishikawa Journal of Nursing, 12:45-52,2015)